《Fireflies(蛍)》 "I would not of course offer the wanton ones as a model," replied Murasaki, "but I would have doubts too about the other sort. Lady Ate miya in The Tale of the Hollow Tree, for Instance. She is always very brisk and efficient and in control of things, and she never makes mistakes; but there is something unwomanly about her cool manner and clipped speech." "I should imagine that it is in real life as in fiction. We are all human and we all have our ways.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。扶桑名所図会 初・二篇 狂歌。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。萬葉集拾穂抄 十冊(一~三、五~十、十四)北村季吟撰。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【地租改正】『落地発見願書』明治十九年八月 中頸城郡 上広田村/新潟県知事 篠崎五郎 検地帳 古文書 村方文書 和本【24-0412-29】。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。完品 大木篤夫著 恩地孝四郎装幀『危険信号』昭和5年アルス刊 函付初版本 直筆献呈サイン入(河井醉茗宛)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 豊前 中津 古文書。現在の今上天皇と系譜がつながっている。h∞∞ 和名類聚鈔 全20巻5冊揃い 発行年不明 古文書 古書 /C05。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。近思録示蒙句解10冊中1冊欠 元禄14年序中川弥兵衛刊 江戸時代和本 朱熹・呂祖謙編纂「近思録」註解書 中国唐代思想 朱子学 儒学 NB。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。Q4-W5/27 特選神名牒 思文閣 内務省蔵版。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。写本 傷寒薬品体用 川越正淑 江戸時代 漢方学 薬学薬理学 東洋医学 江戸期古書和書古本 NM。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。『句双紙』(上下巻揃・合本全1冊)友松堂板 江戸時代和本 句雙紙。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。大槻誠之 (大槻東陽) 『古今萬国綱鑑録』(全3冊揃)明治7年青山堂 中国で活躍したドイツ人宣教師カール・ギュツラフ原著 明治時代和本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。松平庄右衛門升信書簡 森川内藏進・依田又八郎宛。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。1905年 柔術秘傳解 起倒流 巻物 2.2m 検索⇒ 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 古流 刀剣術 範士 戦陣 甲冑 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。女三の宮(源氏の君の正室)のご懐妊、柏木から宮あての恋文を源氏の君が発見・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・Ⅱ-79B。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。花の廓古郷の志るべ [新吉原芸妓細見](題簽・奥付欠)★Wa.70。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。松浦厚『鸞洲羊年春季詩集』限定150部 昭和6年 東京築地活版製造所 漢詩集 平戸藩伝来の古活字(木活字)使用 肥前平戸藩主松浦詮の長男。また、各巻ごとの書かれた年については不明。英吉利約文 阿部伊勢守殿以渡。従って、応永五年とは、書き始めの年である。古文書 書簡 相島虚吼 渋川玄耳 宛て 俳人 政治家 茨城県 出身 相島勘次郎 東京第一師団 渋川柳次郎 歴史資料(レターパックライト発送)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。本沢竹雲著 大沼枕山序詩『虚堂遺稿』(全2冊揃)大正9年 格知学社刊(山形県東村山郡)漢詩集 天童市郷土史料 儒学者 浄土真宗僧侶。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。『江戸風俗浮世絵大鑑 第二集』(手摺浮世絵木版画全11枚揃)大正6年 風俗絵巻図画刊行会刊 葛飾北斎 奥村政信 鳥居清満 懐月堂安慶ら。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。■『繪入歐洲奇話寄想春史』初編/第2編。丹羽純一郎譯・服部誠一校閲。明治12年孰れも初版。東京書林・山中市兵衛發兌。ボール表紙本。。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。惠沼述『支那撰述因明入正理論義談』(全2冊揃)明和4年 菱屋孫兵衛版 江戸時代和本 仏教書 仏書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。柏木亀太郎著 石川鴻斎序『衛生嘉言 完』明治21年刊 明治時代和本(和装活字本)衛生学書 東洋医学 東洋思想 医学書 医書 衛生・養心・養老。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。▼1 【全7冊揃い 全釈漢文大系 文選 年号漢詩中国文学詩吟古文 小野郊一 花房英樹 集英社版…】165-02311。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。古文書 小池道子 書簡 菊池武則 宛 歴史資料 宮内省 御内儀(レターパックライト発送)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。棟方志功他『藝生殿』(3冊)限定100部 昭和34年 古琴盧刊 板画集 柳井三千比呂(柳井道弘)山田正志 吉村淑甫。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。完品 堀口大學『詩集 富士山』限定40部(特装本)昭和54年刊 関野準一郎オリジナル版画3枚(木版画2枚・リトグラフ1枚)堀口大学。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。明治23年 官報号外 古書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。完品 内田六郎編『家蔵江戸版和蘭絵』限定200部 昭和11年 紅日書楼刊 内田六郎直筆サイン入(内島北朗宛)横浜絵図録 横浜版画 浮世絵 錦絵。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【希少】「征露従軍日誌」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 屋堅之鳴弦 古文書。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古絵図 古文書。第25帖。古文書 戌年御年貢米割付之事 蒲原郡 西萱場村(新潟西蒲月潟村内) 天保九年 脇田 内藤 久永惣右衛門 村.庄屋 組頭 惣百姓.193㎝。光源氏36歳の5月の話。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 繁藤之弓作左法 古文書。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。寿賀多百人一首小倉錦。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。古文書 書簡 板谷波山 湯山保寿宛て 封筒付き 陶芸家 人間国宝 茨城県名誉県民 文化勲章受章者 偉人 HAZAN(レターパックライト発送)。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。希少★手すき和紙染紙鑑賞会 和紙集録/ 実物和紙見本65枚 限定100部 明治54年 (管理80265848)。その美しさにますます夢中になってしまう。貫名菘翁名品集成 全九卷 平成十二年 長坂慶子 発行 サイズ約36x23cm 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。順徳天皇『八雲御抄』(全6巻7冊揃)江戸時代和本 歌論書 和歌論。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。軍事資料★「日本選兵史」昭和18年11月 陸軍軍医 飯島茂 徴兵制 現行選兵諸法規 開発社。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。太田錦城『梧窓漫筆』(全6冊揃)天保11年 和泉屋金右衛門刊 江戸時代和本 大田錦城。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。本居宣長『古今集遠鏡』(全6冊揃)幕末期・永楽屋東四郎刊 江戸時代和本 「古今和歌集」全和歌註釈書。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。韮山県 関係史料(古文書) 明治三年(1870)/廃藩置県 武州多摩郡 江川英武 御嶽村 青梅 飢饉 凶作【23-1214-1】。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。書道 宋 黄山谷 黄庭堅 松風閣詩巻他五種 米元章 書跡 4冊まとめて 書跡名品叢刊 二玄社刊 中国 カバー付き/A-1。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。剤・丸・散・薬!/[坪井先生方凾・15丁・手写本]/薬草/丸薬/觧祇凝剤/二味毒丸。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。校正方輿 全十五巻 桂里有持先生口授 嘉永六年跋刋。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。皇后陛下行啓記念誌/大正11年/埼玉県/皇后陛下瓊駕を官幣大社氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)に駐めさせ給ふ/大宮町略図/玉駕奉迎の光景。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。深澤多市輯録『羽陰詩家小伝 全』大正2年序 深沢多市刊 秋田県の詩人(主として漢詩人)の略伝集 羽陰詩家小傳。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。古文書 金剛童子法 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然神道 不動明王 古書和書古本写本 NR。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。和本 女孝経教草 全 嘉永6年(1853年)江都書肆 榮久堂。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。夷舶聞見末 ペリー来航 黒船 嘉永六年六月。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付 乍恐以書付奉申上候 4丁 藩主井伊直弼⑨ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。【貴重 入手困難 激ヤバ 激レア 謎めいた逸品 年代不明】『雲上道真公』(天神様)本体サイズ:縦約154cm、横約40cm 桐箱入り 軸。」というものです。古書 菊地容齋翁画譜 明治23年 1890年 [菊池容齋][菊池容斎]。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。唐詩連材 明和5年 江戸時代 詩学 中国詩 古書和書古本 AA。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。神秘霊魂・口よせの術/高田俊一郎/大正7年/忍術魔法術/痛烈なる実行方法の書いてあるのは知らなかった・双龍軒先生は武芸の達人であろう。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。1914年 日本風俗図絵 黒川真道 検索:浮世絵 百人女郎 西川祐信 市井風景 服飾 履物 結髪 芸能 江戸 絵草紙 絵本 京都書林 美人絵 遊郭 原色。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。N21050665○新潟県布令全書 明治28年6月第186○避病院で備るべき薬品及器具の図,汽熱消毒器ほか8点○コレラ病流行に関する新潟県告示8件。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。f24052516〇明治布告布達 東京開成学校東京医学校を合併し東京大学と改称 文部省 岩手県布令書 明治10年〇和本古書古文書。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。【貴重 豪華版 本体表紙極美】『平安紋鑑』昭和11年(初版 7月5日3版)和綴 京都染物同業組合紋上絵部 家紋、源氏香、花押、他多数掲載。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。鶻91) 干禄字書 天 地 顔元孫公原撰 顔魯公書 柳心堂 古書。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。名島政方(名島桃源)『晤語』(全2冊揃)文政9年序 双樹園蔵版 江戸時代和本 谷川士清に学んだ伊勢の国学者。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。久留春年編『古代芸術拓本稀観』(2冊) 昭和2年 木原文進堂刊 法隆寺 興福寺 中宮寺 薬師寺の仏教美術集 伊東富太郎旧蔵書。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。清斉主人『書画必携名家全書』(全7冊揃)文久2年序 河内屋茂兵衛他 明治時代和本 書家・日本画家・南画家らの落款印章・花押一覧。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。古文書 書簡 松本楓湖 茨城県 稲敷市 出身 日本画 歴史資料 (レターパックライト発送)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。遊戯主人纂輯『訳解笑林広記』(全4冊揃)文政12年刊 渡辺霞亭旧蔵書 中国清代の笑い噺集 江戸時代和本 譯解笑林廣記 中国文学 漢文。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。北條時宗 小絵馬関連書2冊セット『小絵馬図集』(昭和14年 旅の趣味会刊 限定200部)+『小絵馬』(昭和17年 日本百貨店通信社刊)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。新井白石著 箕作秋坪・大槻文彦校『西洋紀聞』(全2冊揃)明治15年白石社/竹中邦香刊 明治時代和本・和装活版本。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。佐久間修理啓上書(仮題) 大垣藩士/長原武自筆寫本 大垣藩士/山本多右衛門舊藏本。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。f24011501〇支那選述 冠註天台四教儀集註 上中下三冊揃 元禄8年 芳野屋権兵衛板〇和本古書古文書。》
《かゝること》・・・・よ(世)にはありけり、
と見な(慣)れ給はんそゆゝしきや」とのたま(宣)ふも、
こよなし、と、たい(対)の御かた(方)き(聞)き給はゝ、
心お(置)き給つへくなむ。西洋聞見録 村田文夫 前編明治2年 後編明治4年 全8冊 世界地理 和本 古文書。うへ(上)「心あさ(浅)けなる
人まねともは、み(見)るにもかたはらいたくこそ。(中国・宋)黄堅編『古文真宝 前後集』(全5巻2冊揃)明治3年 勝村屋治右衛門刊 江戸時代和本 中国古典 漢文集。
うつほのふちはら(藤原)の君のむすめこそ、
いとおもりかにはかはかしき人にて、あやまち(過)
なかめれと、すくよかにい(言)ひ出たることもしわさも、
女しき所なかめるそ、ひとやうなめる」と
のたま(宣)へは、「うつゝの人もさそあるへかめる。山崎美成編 掌中和漢年代記集成 全 弘化3年 山城屋新兵衛 吉田屋文三郎 東都 和本 和書 古書 中国美術 古本 本 作品集 z7341o。
ひとひと(人々)しくたてたるおもむき(趣)こと(異)にて、
よ(良)きほと(程)にかま(構)へぬや。濱松俳人永田白輅自筆連歌俳諧指南書ノ一括 天明二年〜天明五年。
よし(由)なからぬおや(親)の心とゝめて
お(生)ふし・・・・《たてたる人》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原大膳太夫長時 右近太夫 古文書。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《紫の上と源氏の君が熊野の物語についてお話をされる》
《(源氏の君)「姫君(明石の姫君)の御前で、この色恋沙汰の物語などは読んで
お聞かせにならぬがよろしい。舎利講式 鎌倉時代写 紙本墨書 約29.5×560cm 1巻 仏教 真言 古文書。忍びに恋心を抱いている娘の話などは、
興味を持たれないにしても、こんなことが」・・・・・・《世間にはあるものだと、
それを普通のように思われたのでは大変なことです」
とおっしゃるにつけても、こうした大臣(源氏の君)のお心づかいを
西の対(たい)の御方(玉鬘の姫君)がお聞きになったら、自分に対しては
ずいぶん分け隔てのあるお扱いだと、気をおゆるしにならなくなるにちがいない。改正 衆方規矩備考大成 全十巻 千村真之(千村拙庵 )著。
紫の上は、
(紫の上)「いかにもあさはかに色恋沙汰をまねたりするのは、
はた目にも見るに堪えないものです。TKa399◆宝庫◆古書 セット 明治 歴史資料 旧家蔵出し。
そこへいくと、宇津保物語の藤原の君の娘となると、ほんとに分別があって
しっかりした人なので、まちがいはないようですけれども、
そっけない物言いや物腰も女らしいところがないようで、それもやはり
同じようによろしくはないように思われます」
とおっしゃるので、大臣(源氏の君)は、
(源氏の君)「実際の人間も、そういうことがいえそうです。大野直輔編『経済新話』(全2冊揃)明治9年大野氏蔵版(大阪府)明治時代和本 造幣局長による経済学書 藤沢市長大野守衛の父 原田直茂旧蔵。
一人前にその人その人が違った主義をもっていて、
ちょうど具合よくはふるまえないのです。斗印存 小林斗作品集。
たしなみのなくはない親がよく注意して育て
あげた娘の、・・・・・《こせつかずおおようなのがせめてもの育てがいであって、
そのほかはいろいろと足りないところが多いというのは、いったいどんな
しつけ方をして大事に育ててきたのかと、親のやりかたまで思いやられる》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。近江源氏先陣館 近松半二 歌舞伎浄瑠璃 佐々木盛綱 江戸時代 検)盛綱陣屋 古書和書古本和本古文書写本 NT。
《Fireflies(蛍)》
"I would not of course offer the wanton ones as a model,"
replied Murasaki, "but I would have doubts too about the other sort.
Lady Ate miya in The Tale of the Hollow Tree, for Instance.
She is always very brisk and efficient and in control of things,
and she never makes mistakes; but there is something unwomanly
about her cool manner and clipped speech."
"I should imagine that it is in real life as in fiction.
We are all human and we all have our ways.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
无要,那就不得了!”
如此周到的,被玉鬘听到了,
一定得生女儿竟不同,因而自命薄。U0Dω 和書 小説 尾花集 五重塔 幸田露伴 青木嵩山堂 明治36年 発行 古書 読み物。
紫:“故事中所描写的那些浅薄女子,
只知模人,教人看了可可笑。日支事変美談と帝国の攻防・輝く皇国の精華/昭和9年/昭和日支事變に關聯せる出征將士並に銃後の美談を蒐集し之を記念し永遠に傳へる。
只有《空穗物》中藤原君的女儿,人重直爽,
不犯失。j∞6 まとめて 江戸期 春秋外伝国語定本 一~六 六冊揃い 文政二年 和本 古書/B43。然而分真,言行坦率,
不像女子模,也未免太偏差了。【T079】遠州流 生花 巖松齋法眼一鵰撰 四季之園 全四巻 木版本 版画。
”源氏答道:“不但小中如此,
世也有的人。「むねわり」山田清作編輯 米山堂 1932.4 稀書複製會, 第7期第18回。些女子自以是,
与人趣,道不得随机?
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 馬書 古文書。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。歌川国芳・松川半山画『絵本豊臣記』(全17冊揃)大正6年朝陽舎他刊 限定200部 大正時代和本 豊公着用唐冠冑今陳列於遊就館(靖国神社)。冬姫は内大臣・通誠の養女。伊東武彦『伊東訓点 明治新刻 四書 片伽名附』(全4冊揃=「学庸 全」+「論語 全」+「孟子」上下)明治17年刊 明治時代和本。
冬姫は通称。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。正式な名は伊達貞子。尾崎行雄『英国議院政治論 至尊 一名王室篇』明治16年 自由出版会社刊 明治時代政治論 国政論。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。f240502019〇彩色木版画 広重 富士三十六景 相摸七里か濱 神奈川県鎌倉市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。古文書 古書 「瀧の響」 木版 挿絵入り 茨城県 大子町 宮川 鶴鳴堂 袋田の滝 名所 和歌 明治34年 歴史資料 (レターパックライト発送)。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。324菊づくし!彩色着彩 肉筆精写本 ■菊画本■ 全33図 江戸明治時代 粉本下絵 草花 絵入絵本図譜図案 和本浮世絵ukiyoe古書古文書骨董古美術。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。現地報告・15冊/昭和15年/日華條約の次に来るもの/日米危機に備える/アメリカの参戦近し/第三次近衛内閣と獨ソの死闘/東條内閣とアメリカ。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―17B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。完品 真下敬之『醒心斎詩集』(全2冊揃)昭和5年跋 漢詩集。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。【豪華本 激レア 初版】『廣重』内田實(著) 岩波書店 昭和5年 彩色刷木版画(数ページ) 歌川広重 内田実 東海道五十三次 浮世絵。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。御親閲拝受記・現役将校学校配属令施行拾五周年記念/朝鮮教育会/昭和15年/御親閲拝受顛末謹記・御親閲拝受状況報告・御親閲拝受行動日誌。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。明治期 設計 デザイン本 難類彌家多 奈留美加多 検索:南流微鳩た 鳴海賀太 建築 彫刻 小田切春江 図版 唐草紋様 木版瓦版 型紙 藍染 絞染。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。諸御役御大名方警衛之略図。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。f240502013〇彩色木版画 広重 富士三十六景 武蔵玉川 東京都日野市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。小金井純子『歌集 黒森 Schwarzwald 個性叢書第23篇』昭和48年 短歌新聞社刊 直筆献呈署名入(森於菟令夫人・森富貴宛)星新一従姉。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。0031717 康熙字典 全41冊揃 風月荘左衛門他・板 安永9年 箱付。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。b■* 複製本 北越雪譜 野島出版 昭和44年発行 著:鈴木牧之 監修:宮栄二・井上慶隆 /b1。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。★輸送用外箱付き 帙付き 和綴本 大型本 『 景岳橋本左内遺墨帖 』 景岳会/編 史籍出版。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。『新板増補 身延鑑』(全3冊揃)宝暦12年 身延山蔵版 江戸時代和本 日蓮宗重要資料 仏教書 仏書。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。f240502009〇彩色木版画 広重 富士三十六景 雑司かや不二見茶や 東京都豊島区雑司が谷 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。坪内逍遥『熱海ペーヂェント』大正14年 博文館刊 初版本 坪内逍遥直筆献呈署名入(「呈 駒田君 著者」)三重県・駒田家旧蔵書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。絵本直指○ 一・ニの巻。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【古書】整体法の基礎 野口晴哉 全生社。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。■■黄海々戦ニ於ケル松島艦内ノ状況 木村浩吉 明治発禁本 日清戦争■■。撮影後、展示のために再表装をしております。弘法大師・灌頂記/明治39年/日本の書聖として慕われる空海の傑作・気構えのない倉卒の魅力を持つ/明治36年国宝指定・高雄神護寺所蔵。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。岳飛撰『岳忠武王集 全』文久3年 和泉屋金右衛門刊 江戸時代和本 中国南宋の武将・岳飛の漢文集 漢籍唐本和刻本。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。遠藤通(遠藤鶴洲)『救荒便覧前集』天保7年序 白鶴義斎蔵板 江戸時代和本 藤浪剛一および北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。噎反胃論 袋附 月向太田主計先生著。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。日本名蹟図誌第三編・加能宝鑑・上下2冊/渡辺市太郎/明治31年/加賀国総説・能美郡総説・石川郡総説・金沢市総説・河北郡総説・能登郡総説。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。高城與五郎編『万国小地理書』(全2巻揃・合本1冊)明治20年 翠嵐書屋蔵版 明治時代和本 銅版画挿絵入 明治中期の世界地理書。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。m327◆裁断要事録◆写本◆江戸 寛政 関所改方 入鉄砲出女 手負 囚人 死骸 首 道中奉行 扶持 川越 街道 往来@和本/古文書/古書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。田川鳳朗編『続砺浪山集 続有磯海集』(全2冊揃)天保11年後跋刊 江戸時代和本 俳諧書 連歌 俳句 俳書 富山県郷土資料 松尾芭蕉関連書。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。岡白駒(岡田白駒)輯『春秋左氏伝ケイ』(全10巻5冊揃)柳原喜兵衛刊 江戸時代和本明治刷。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。戸川浜雄旧蔵書 山崎美成編 菊池容斎画『名家略伝』(全4冊揃)天保13年英屋文蔵刊 木村蒹葭堂 伊藤若冲 皆川淇園ら 江戸時代和本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。イソップ原作 楠山正雄編 武井武雄画『イソップものがたり 幼年文庫』昭和24年 光文社刊。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。横山山城守前田利長公覚書 寛永十八年九月十三日。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。江戸和本 消息往来画抄(文久元年 酉年 初夏 1861年)十返舎一九著述 吉田屋文三郎 版。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古絵図 宝永六巳 本源院殿 古文書。母は後水尾天皇皇女女二宮。f240502030〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐御坂越 山梨県富士河口湖町 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。実母は近衛家女房(瑤林院)。山中峯太郎『日本振天記 並進の巻』昭和11年 警醒社刊 函付初版本 日露戦争を題材とした歴史小説。幼名は多治丸。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 文化十一甲成 八月 書状 古文書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。三楠遺規 東沢瀉 明治16年 楠木正成 天皇 陽明学儒教朱子学 尊皇攘夷明治維新 岩国藩山口県岩国市 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本NZ。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。■『滑稽席上演説』痩々亭骨皮道人(西森武城)著。明治23年初版。東京京橋區銀座貳丁目・東京共隆社發行。ボール表紙本。汚本瑕疵有ります。。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。国寳 近衛和漢朗詠集 137/500 昭和48年11月1 発行 定価220000。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。美濃派以哉派 田中尊雅 白々亭写本 三冊 田中尊雅。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。溝口竹亭『新版改正俳諧をだまき大成』(全二巻二冊揃)安永10年版 田中庄兵衛刊 江戸時代和本 俳諧をだまき綱目 俳句 俳諧書 俳書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。■『白波五人男』神奈川縣平民・市川かめ翻刻。明治21年初刷。ボール表紙本。文事堂發兌。■御存知「歌舞伎十八番」の伊達男が勢揃い。。
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